八代亜紀さん急逝 歌謡曲全盛時代に大きな話題を呼んだ「五八戦争」1980年“3冠”数々の名曲遺し…

2024年01月09日 21:30

芸能

八代亜紀さん急逝 歌謡曲全盛時代に大きな話題を呼んだ「五八戦争」1980年“3冠”数々の名曲遺し…
1980年「第22回日本レコード大賞」の部門賞の発表でプレゼンターを務める八代亜紀さんと五木ひろし Photo By スポニチ
 「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られ、艶っぽくハスキーな歌声で「演歌の女王」と呼ばれた歌手の八代亜紀(やしろ・あき)さんが昨年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため死去した。73歳。熊本県八代市出身。葬儀は関係者で行った。後日、お別れの会を開く予定。
 歌謡曲全盛時代にヒット曲を連発した八代さん。その中でも1980年に巻き起こった八代さんと五木ひろしによる「五八戦争」は、当時大きな話題を呼んだ。

 八代さんが銀座のクラブ歌手時代に、同じクラブで歌っていた三谷謙(のちの五木ひろし)。その五木から芸能プロダクションを紹介してもらうなど旧知の仲だった2人は、80年、レコード売り上げも含めて歌手人生に大きな影響を及ぼす権威の一つだった「レコード大賞」を五木は「ふたりの夜明け」、八代さんは「雨の慕情」で激しく争った。事務所やレコード会社が特にピリピリする中、2人の頭の文字「五」と「八」を取って名付けられた「五八戦争」。最終的には八代さんの「雨の慕情」が大賞に輝き、この年、日本歌謡大賞、紅白歌合戦の大トリと“3冠”に輝いた。

 当日、レコード大賞の舞台上では声を掛けた八代さんに対して、五木が冷たくあしらったなどセンセーショナルに報じられるほど加熱した「五八戦争」だったが、後年に2人は笑いながら“裏話”を語るなど遺恨などなかった。この日、悲報を受けた五木は取材に対して「“舟唄”は最初に聴いた時に鳥肌が立ったほど大好きだけど、“雨の慕情”はそれほどでも。みんな“五八戦争”というけれど、“五六戦争”だった。彼女が所属していた六本木オフィスという事務所の力に負けたと今でも思っている」と回想。「負けて悔しかったけど、喜んで飛びついてきた彼女には良かったなと思う」と、互いに努力でつかんだ栄光の喜びを共有する。そして「後輩の歌手は大勢いるが、売れる前から知っていた彼女は別格。本当に言葉が出て来ない。とてつもなく残念だし、ウソだろうという気持ち。信じられません」と悲しみをこらえていた。

 「天然」とも言われたおっとりとした人柄からは想像もできない艶っぽくハスキーな歌声で歌謡曲全盛期に輝きを放った八代さん。それでも演歌にとらわれず、ジャズやブルースも歌い、メタルフェスにも参加するなど挑戦し続け、12年にはジャズアルバム「夜のアルバム」で42年目にして世界デビューも果たした。さらには画家としても活躍し、テレビ全盛時代に歌番組だけでなく、バラエティー番組でも視聴者を魅了した。

 昨年9月に療養のため年内活動休止を発表してた際に「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆様とお会い出来る日を楽しみに頑張ります!」とファンに向けてメッセージを送っていたが、願いはかなわなかった。小さな頃から歌を愛し続けた「演歌の女王」は、数々の名曲を遺し、旅立った。

 八代 亜紀(やしろ・あき)1950年(昭25)8月29日生まれ、熊本県八代市出身。芸名は出身地に由来。71年にデビュー。「なみだ恋」が60万枚以上を売り上げブレーク。紅白歌合戦では79、80年と2年連続で大トリを務めた。オリコンのアルバムチャートに5作品がトップ10入りしており、女性演歌歌手としては歴代最多。81年から刑務所の慰問公演も続けていた。

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