歌を愛し、人に愛された八代亜紀さん「歌が持つ心を伝える代弁者でありたい」 人を疑わぬ純粋さ人貫く

2024年01月10日 05:05

芸能

歌を愛し、人に愛された八代亜紀さん「歌が持つ心を伝える代弁者でありたい」 人を疑わぬ純粋さ人貫く
NHK「第51回紅白歌合戦」で「なみだ恋」を熱唱する八代亜紀 Photo By スポニチ
 「演歌の女王」にまで上り詰めた八代亜紀さん。小さいころから、夢に向けての人生設計を描いていた。
 楽ではなかった生活の中で「家計を助けたい」と思い至り、12歳にしてクラブ歌手を目指し始めた。コンプレックスに感じていた生来のハスキーボイスが「歌手」に目覚めた要因。父親が買ってきたジャズボーカリスト、ジュリー・ロンドンのハスキーボイスに衝撃を受けていた。

 いきなりの歌手デビューは難しく、中学卒業後に進んだ道がバスガイド。しかし、人前で話すことが恥ずかしかった八代さん。若いゆえに客からひやかされることも多く、何も話せなくなり、観光名所を通り過ぎるなどして運転手に叱られる日々。「毎日、心で泣いていた」という。

 そんな中で出合ったのが、地元・八代市のキャバレー。「思い切って歌ってみたら」。友人の一言がきっかけだった。年齢を偽るなどして歌手のスタートを切った。「八代亜紀」の原点だ。その後、父親の反対を押し切り上京。自身のステージを銀座のクラブに移した。その歌声はすぐに評判となり、魂を揺さぶられた他店のホステスが八代さんのクラブに移ってくるほど。レコード会社のスカウトも顔を出すようになった。

 女の哀(かな)しみ、男女の機微…当時18歳の少女は理解しないままマイクを握っていたが、いつしか「哀愁」を意識するようになった。「歌が持つ心を伝える代弁者でありたい」。こうした思いは、銀座時代に培われたものだった。

 きらびやかなステージとは対照的に、周囲の八代評は「不思議な人」「天然」。根底にあったのは「人を疑わずに生きるのが当たり前」という考えだった。苦しい生活の中でも多めに肉じゃがを作り、近所にお裾分けする母親の姿が脳裏に焼き付いていた。どんなに成功を収めても純粋な人であり続けた。


 ≪王貞治氏とも交友 846号バットプレゼント≫ 八代さんは世界のホームラン王とも親交があった。ソフトバンク球団会長の王貞治氏は、現役時代846本目の本塁打を放ったバットを八代さんに贈った。名字「や(8)し(4)ろ(6)」の語呂合わせで、79年暮れのパーティーで八代さんが王氏に「846号はいつごろになりますか?」と質問。王氏は「来年の5月ごろ」と返答。その言葉通り、王氏は80年5月に846号に達し、記念のバットをプレゼント。八代さんはお礼として、肖像画を贈った。

 ≪八代市市長文化振興に感謝≫ 芸名の由来となった熊本県八代市の中村博生市長は市の公式サイトで「市の文化振興にご尽力いただきました」と感謝をつづった。同市では2004年から「八代亜紀絵画コンクール」を開催。八代さんは同年に市民栄誉賞を受賞し、07年には「八代よかとこ大使」に就任した。また、県のマスコットキャラクター「くまモン」も公式SNSで「いろんなところでご一緒させてもらったモン。思い出だけが行き過ぎる…。ありがとうございました」と追悼した。

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