安藤優子氏 認知症だった亡き母の介護 ある日「ベランダから…」 “自己否定の嵐”収まるきっかけは
2024年01月24日 14:40
芸能
当時は同居していた父が介護。それまで、家庭のことは全て母に任せていたが、食事の用意などをするようになり「私たちはそれを見て驚天動地」。その後、父が亡くなり、安藤と姉が面倒を見るようになった。
姉が平日、安藤が土日を担当。心身ともに負担が大きく「母が元の母じゃなくなっていく姿を、娘としては受け入れがたくなって。そうすると、私が一生懸命ご飯を作る時に、母に何度も“優子”って呼ばれたりすると、“ちょっと黙っててくれない?”みたいになってしまった。それで、自分自身も母親も傷つけてしまった」。
限界を迎え、母親には高齢者施設に入ってもらった。「“こんなに苦労して育てたのに、こんな仕打ちを受けるいわれはない”って、姉、兄、私も含めて罵倒されました」。しかし、臨床美術と出会い絵が描けるようになると、母は穏やかになったという。
「それまで母は、旅行とか友達と会うのが好きだった。それを認知症で奪われてしまった。それが母の怒りの正体で。自己否定だったんです。でも、絵を描いたときに“よくできた”って言って、自己肯定をした。そこから生活は一変。すごく穏やかになって、自己否定の嵐みたいなものが収まった」と振り返った。