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鳥越氏 高校時代は届かなかった甲子園…大分・臼杵の後輩たちに今年も期待します!

2023年07月11日 08:00

野球

鳥越氏 高校時代は届かなかった甲子園…大分・臼杵の後輩たちに今年も期待します!
大分・臼杵時代の鳥越氏(本人提供) Photo By 提供写真
 【コラム 鳥越裕介のかぼす論】今年も高校野球の季節がやってきた。大分・臼杵での「最後の夏」のことはよく、覚えている。毎年、野球部で集まると必ず、その話題になるほどだ。
 高3夏はベスト8。佐伯鶴城との準々決勝は7回まで7―2とリードしていた。その日、私は5打数3安打3打点で、翌日の地元の新聞には自分の写真が出るかなと思っていた。だが、8回。一つの内野安打をきっかけに、流れが変わる。イレギュラーした打球が、三塁手の顔面に当たって中断。そこから1イニングに9点取られ、7―11と逆転負けした。

 4番でキャプテンだった。突然のことに周囲が浮き足だっているのは分かったが、どう、声をかけていいのか分からない。投手も1年生。18歳の私ではどうにもならなかった。ちょうどリードしている時にテレビ中継が終わり、みんな勝ったと思ったらしい。学校に戻ると購買部のおばちゃんから「おめでとう」と言われた。野球の怖さ、一人じゃどうにもならないことがあると知る。それは私の根底に深く刻まれている。

 地元の高校を選んだ理由は「大学に行きたい」からだった。当時、甲子園に行きたいという思いはなかった。刺激をくれたのは地元・臼杵出身で家も近く、遊んでくれた1学年上の佐藤裕幸さん。佐藤さんは野村謙二郎さんが1位だったドラフトで広島に2位指名された。「俺も」という思いが湧いた。佐藤さんが5番を打つ津久見は強く、2年生の時は準決勝で負けた。ただ、3年生ではという気持ちにさせてくれた。いつしか甲子園が目標になっていた。

 明大に進み、チームメートが甲子園の話題をしていると凄く、うらやましく感じた。甲子園組への劣等感はあったが、バネにもなった。プロ1年目に2軍の阪神戦が甲子園であった時、朝からテンションが最高潮だった。途中出場だったが打席が巡り、バックスクリーン左のパナソニックの看板方向へカーンと打った打球がホームランになった。甲子園初打席初本塁打。2軍戦だが一番、忘れられないホームランだったかもしれない。それくらい会心だった。

 母校は1947年と49年夏に2度、出て以来甲子園からは遠ざかっている。私の1つ上と下の世代はベスト4。2つ下は決勝で負けた。今年はどこまで勝ち進むか。後輩たちの夏に期待している。 (野球解説者)

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