パンサー尾形 東日本大震災で父が津波にのまれていた「奇跡的に…」 その後の自身の仕事にも影響
2024年01月17日 17:29
芸能
だが、07年にコンビは解散。ピン芸人・サンキュー尾形として活動したが、結果が出ず。故郷に帰る決断をしたものの、菅良太郎を誘い、向井慧も加わる形で08年に「パンサー」を結成した。
そうしてトリオは菅の書くネタ、向井の軽妙なツッコミ、尾形の勢いのあるキャラが定着し、ライブシーンで人気者に。「めちゃくちゃ人気あったんで。渋谷の劇場、ヨシモト∞ホールってところから、出待ちが結構原宿方面まで…。体感ですけど」と語るほどの人気だったとした。
女性ファンが増えたことで、笑いよりモテたいという気持ちが大きくなったものの、ある日をきっかけに尾形は心を入れ替えて、何事にも全力で取り組む芸人になったという。
その出来事とは11年の東日本大震災だった。VTRで尾形は「震災があって、俺の家が流されてるのがテレビでやってて。随分映ってますよ。うわ、俺んちだよと思って」と回顧。「親父は津波にのまれちゃって、そこから1カ月近く連絡取れなくて父ちゃん母ちゃんとね。俺は覚悟をしてたんですよ。しようがないと。父ちゃん母ちゃんもういなくなってしまったと」とも話した。
それでも「結局いっぱい探して、2人とも何とか生きてたんですけど」とし、「そういうのがあって、俺、一生懸命やろうと。まず目の前のことをね。本当に一生懸命やろうって思ったのがデカいかもしれないですね。考え方は変わったんだと思います」と振り返った。
スタジオで尾形は「親父がやっぱのまれて、津波来て、足も傷だらけで、沈んでもうダメだって時にほかの誰かの家が流れて来て、そこにケツが当たってこう(浮き)上がったんですよ」「奇跡なんですよ」と説明した。
そこで現在の原点、一生懸命やるというふうになったと言われると「目の前のことをやるという」と力を込めた。その翌年からはテレビへの出演が増え始めたという。