「内山田洋とクール・ファイブ」小林正樹さん死去 81歳 「長崎は今日も雨だった」など多数のヒット曲

2024年02月22日 05:00

芸能

「内山田洋とクール・ファイブ」小林正樹さん死去 81歳 「長崎は今日も雨だった」など多数のヒット曲
83年6月、結成15周年でインタビューを受けた内山田洋とクールファイブの(左から)宮本悦朗、岩城茂美、前川清、内山田洋、森本繁、小林正樹さん Photo By スポニチ
 前川清(75)がボーカルを務めた人気グループ「内山田洋とクール・ファイブ」のメンバー、小林正樹(こばやし・まさき)さんが15日午前4時、老衰のため都内の病院で死去した。81歳。長崎県佐世保市出身。葬儀は近親者で済ませた。フジテレビ「欽ちゃんのドンとやってみよう!」でお茶の間の人気者にもなった。
 小林さんは長年、鮎子夫人の看病と介護生活を続けていた。しかし、8年ほど前に夫人が亡くなり、そのショックから体調を崩したという。胃を全摘出するなど、この数年は入退院を繰り返す闘病生活を送っており、都内に住む娘夫妻が身の回りの世話をしていた。

 前川と同じ佐世保市出身の小林さんは1967年9月、長崎のキャバレー「銀馬車」の専属バンドとして結成された「内山田洋とクール・ファイブ」にベースとコーラス担当として参加。同郷の縁もあり、68年に佐世保のクラブで歌っていた前川に「クール・ファイブに入らんか?」とじかに勧誘。その一言で前川はバンドボーイとして参加した。69年2月に「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビューを果たすと大ヒット。同年の日本レコード大賞新人賞を受賞、NHK紅白歌合戦初出場を果たすなど、一躍人気グループとなった。

 87年の前川の独立後、グループとして活動していたが、2006年にリーダーの内山田洋さん(享年70)が死去。同年暮れの紅白で前川との関係を復活。以後「前川清&クール・ファイブ」として08年まで紅白に出演。19年暮れまで毎年ディナーショーなどで前川と一緒に活動していた。

 昨年2月の東京・中野サンプラザから始まった前川清55周年コンサートツアーにメンバー3人とともに特別出演。つえをついて登場した小林さんは前川のリクエストに応えて「アンチェインド・メロディ」の1コーラスをピアノ伴奏で披露。「ああ、いい声だ」と感涙を見せた前川に満足そうな笑みを浮かべた。同10月16日の故郷・佐世保でステージに立ったのが最後となった。前川は「これまで芸能界で仕事してこられたのは、メンバーに加えてくれた小林さんのおかげであり、私にとっての恩人です」と感謝し「根っからのステージマンなので、やせてヨロヨロしながらも立派に歌を歌ってくれて会場が大歓声に包まれました。今も雄姿が目に焼き付いています。小林さんありがとう。感謝しかありません」と苦楽をともにした先輩を悼んだ。


 ≪「おじゃましまーす」≫ 前川のバックで「ワワワワー」とコーラスを入れる姿がおなじみだった小林さん。長いもみあげにパンチパーマというルックスでバラエティー番組でも人気だった。萩本欽一(82)が、クール・ファイブをフジ「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(1975~80年)のレギュラーに起用。コメディアンの才能を発揮した前川だけでなく、小林さんも「おじゃましまーす」と裏声を使った異色キャラクターを披露。少しこわもての風貌とのギャップもあり人気者になった。

 小林 正樹(こばやし・まさき)1943年(昭18)1月1日生まれ、長崎県佐世保市出身。67年9月、長崎で「内山田洋とクール・ファイブ」結成。69年2月5日「長崎は今日も雨だった」でデビュー。同年暮れのNHK「紅白歌合戦」に初出場。以後、2008年までグループとして11回出場した。


 ▼森本繁(ドラム、コーラス)小林さんとは、一番最初に出会って、仕事もプライベートもずっと一緒に過ごして家族以上にそばにいた人です。正直者で素直過ぎるので、生き方はあまりうまくなかったと思いますが、いい人でした。

 ▼岩城茂美(テナーサックス、コーラス)若い頃は仕事が忙しかったので、小林さんと森本さんと3人でいつも一緒にいました。こんなに早く逝っちゃって心残りです。もう少し生きてほしかった。

 ▼宮本悦朗(ピアノ、コーラス)小林さんの素晴らしいお声が聴けなくなったので、リーダー亡き後、クール・ファイブも一層寂しくなります。

この記事のフォト

おすすめテーマ

2024年02月22日のニュース

特集

芸能のランキング

【楽天】オススメアイテム