山本陽子さんは急死だった 事務所が20日逝去を発表、死因は急性心不全 亡くなる直前まで…
2024年02月22日 18:32
芸能
また「突然の出来事による対応に追われ、公式リリース前に不確定な情報がでたことで関係各所に多大なご迷惑をお掛けしましたことを心よりお詫び申し上げます」と謝罪した。
また、日塔代表取締役は「今回このようなかたちで皆様へ突然の訃報をお知らせすることになったのは残念でなりません。4月公演、アガサ・クリステイー原作の舞台『そして誰もいなくなった』の稽古を間近に控え、台本と向き合う日々でした。やり遂げられなかったこと、共演者、公演関係者、観劇予定のお客様へご迷惑をお掛けすることになったことは大変申し訳なく思いますが、今頃本人は向こうで『こっちの話し方のほうがいいかしら?』などと役作りに励んでいることと思います。常に傍らにいた私から見ても最期の瞬間まで自由に生きた幸せな人生でした」と語った。
事務所によると、故人の遺志により、葬儀は親族のみで執り行ったといい、「日をあらためてお別れ会を企画させていただければと思います」と説明した。
山本さんは1963年に「光る海」の女子学生役でデビュー。65年から66年にかけて放送されたTBS「ナショナル劇場 七人の孫」では和服姿の楚々とした女性を演じ、これを見そめた山本海苔店の社長が同社CMへの出演をオファー。67年から22年まで実に55年にわたって続き、42年を過ぎた2010年に「専属タレント契約の世界最長記録」としてギネスに認定され、以降も更新を続けていた。71年には森光子さん主演「放浪記」の「悠起」役で初舞台を踏み、80年の「花埋み」で初主演。94年の「おはん」の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。06年には「いろどり橋」で名古屋演劇ペンクラブ賞を贈られた。08年、09年には「放浪記」の舞台で「日夏京子」役で上演回数2000回の記念舞台に出演し、花を添えた。今年2月2日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」が生前最後の出演番組となった。