山本陽子さん 時代を先取りテレビドラマに出演 尻込みする役者多い中「私は逆に抵抗を感じなくて」

2024年02月22日 12:37

芸能

山本陽子さん 時代を先取りテレビドラマに出演 尻込みする役者多い中「私は逆に抵抗を感じなくて」
女優の山本陽子さん Photo By スポニチ
 「放浪記」「おはん」などの舞台をはじめ、映画やドラマで清楚(そ)な役から悪女まで幅広く演じて存在感を示した女優の山本陽子(やまもと・ようこ)さんが死去した。81歳。東京都出身。幾つか浮名も流したが、生涯独身を通した。2012年から第二の人生を楽しむため、静岡県熱海の別荘で余生を送っていた。
 和服の似合う美人女優として知られ、山本海苔店のイメージモデルを半世紀以上も続けてお茶の間にも親しまれた山本さん。有名な車好きでもあり、23年2月4、11日には前後編で放送されたBS日テレ「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE!」に出演。出世作やテレビドラマの出演について語っていた。

 山本さんは1963年、21歳の時に第7期日活ニューフェイスとして芸能界入り。同年「光る海」の女子学生役でデビューした。しかし、当時の日活には吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子の「三人娘」がいて、彼女たちの勢いに押されてなかなか作品には恵まれず、エキストラ的な仕事で演技力を磨いていった。

 1964年、石原裕次郎さん主演の映画「赤いハンカチ」に出演する。「初めて台本ももらって、5000円ギャラをいただきました」。エキストラ時代から10倍以上の稼ぎを得て、スターへの第一歩を踏み出した。

 当時はテレビ放送が開始されてまだ10年ほど。大画面のスクリーンで見られる映画の方が、娯楽としての認知度や価値は高かったが、山本は時代を先取りするかのように、テレビドラマへ進出した。「皆さん、やっぱりスクリーンから小さなアナログのそういうところに出るというのはちょっと…という感じで」。テレビ進出へ尻込みする役者たちが多い中、山本は「私は逆に(抵抗を)感じなくて。それが逆に良くて、ギャラが上がっていった」と振り返っていた。

 65年から66年にかけて放送されたTBS「ナショナル劇場 七人の孫」では和服姿の楚々とした女性を演じ、これを見そめた山本海苔店の社長が同社CMへの出演をオファー。67年から22年まで実に55年にわたって続き、42年を過ぎた2010年に「専属タレント契約の世界最長記録」としてギネスに認定され、以降も更新を続けていた。

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