津田健次郎 役者で芽が出ず20代は電気、ガス、水道が止まる極貧生活 「一番苦しかった」のは…
2024年03月11日 11:24
芸能
そんな中で「映画館に行くと頭がぶっ飛んだ人がものすごくぶっ飛んだものを作ってて、しかもそれが世界的に評価されているとか、めちゃくちゃかっこいいなって思ったんです。僕のアイドルは偉大なる表現者たちだった」と映画の魅力に引き込まれたという。
その後、俳優の養成所に入り「お芝居を始めたんですけど、それまで抱えていたダークなストレスみたいなものが芝居の台詞を借りて乗っけられたんですよね。人嫌いとか、世間なんてとか。そういうものを出していい場がなかったんですけど、こんなに面白い世界があるんだって」と役者が自分にドはまりすると気付いた。
ただ、「とにかくオーディション落ちまくってましたし、電気・ガスが止まるのは当たり前。水道は生命線なので本当に止まらないんですけど、ついに水道が止まる」と役者としてだけでは生活することができず極貧に。
そして「お金がないとか、腹が減ってるとか、しんどいのはしんどいんですけど、何よりも一生懸命考えたり、芝居の稽古をして、それを見ていただく機会がない。自分が何者でもないみたいなことが1番苦しかったかもしれないですね。生きている存在証明もできないといいますか」と極貧よりも役者としての活動の場がないことが一番のストレスだったとした。
極貧、俳優として芽が出ない20代を乗り越えたのが「声優」としての活動だったとし「(俳優として)しんどい時期にオーディションを突然いただいた感じで、“アニメのオーディション来たけど、受ける?”って言われて、受ける、受けない(の選択肢)なんてありえない。“受けます絶対に”」と即答。
25歳でアニメ「H2」で声優デビューし、29歳の頃に「遊戯王デュエルモンスターズ」で主人公のライバル・海馬瀬人役を務めると、「テニスの王子様」でも乾貞治役を務めるなど、人気アニメの主要キャラを次々と担当。「それで劇的に変わりましたね。バイトを辞められました。31歳ぐらいで、ほっとしました。あっぶねぇって。ギリギリを歩いていた感覚があった」と生活が安定し、人生が好転したと振り返った。