【コラム】西部謙司
スーパーリーグ構想と「鬼滅の刃」
2021年02月04日 08:00
サッカー
スーパーリーグ構想は90年代から何度も浮上しては消えている。Jリーグの秋春制へのシーズン以降案と似ているかもしれない。
スーパーリーグが実現すれば、直接被害が及ぶのはUEFAだ。UEFAチャンピオンズリーグは完全に形骸化し、多くのスポンサーも奪われるに違いない。そこで、UEFAはグループステージの導入やリーグチャンピオンでないクラブにも出場権を与えるなど、これまでかなり譲歩してきている。今回のスーパーリーグ構想も何らかの譲歩を引き出すための手段なのかもしれない。
しかし、もし本当にスーパーリーグが実現したら、世界の関心がそこに集まるのは間違いない。人気は沸騰し、競技レベルも上がるだろう。選手の給料も跳ね上がる。クラブは潤う。
スーパーリーグに参加するビッグクラブにはいいことづくしだ。ただし、圧倒多数のその他のクラブには何の恩恵もない。ビッグクラブへ選手を供給するだけの下請け産業になりかねない。すでにそうなってはいるけれども、さらにそうなる。曲がりなりにもサッカーの普及に努めてきたFIFAの仕事は資金源を失って水泡に帰す。
スーパーリーグ構想から見えるのは、自分たちさえ良ければそれでいいという思惑である。FIFAがビッグクラブ以上に問題のある組織なのは認めるが、FIFAがサッカーのために作ってきた枠組みを壊してしまうなら、スーパーリーグはそれに代わるものを提示しなければならない。
大ビット中の「鬼滅の刃」は鬼と人間の戦いが描かれていて、作中の鬼と鬼殺隊を中心とした人間の対比が明確だ。鬼は自分の利益しか考えない。滅多なことでは死なないのに生への執着が異常に強い。過去の記憶がなく現在と未来しか考えない。徹底した弱肉強食主義。一方、人間は他者のために尽くし、死を恐れず、過去の記憶を引きずりながら未来へつなごうとしてもがき続ける存在として描かれている。1人でできることの限界を知らされつつ、過去現在未来の人間と連帯することで個は消滅しても不滅の価値を残そうとする。
スーパーリーグ構想には、地方のクラブからも反対の声があがっているという。自分たちが大事にしてきた過去と、つないでいこうとしている記憶を抹殺するに等しい行為は、鬼の所業と映るのではないか。(西部謙司=スポーツライター)