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元阪神・横田さん死去 母・まなみさんが明かした生への執念「本当に頑張りました」

2023年07月19日 05:15

野球

元阪神・横田さん死去 母・まなみさんが明かした生への執念「本当に頑張りました」
20年7月、甲子園を訪れた横田さん
 阪神で14年から6年間プレーし19年に現役引退した横田慎太郎(よこた・しんたろう)さんが18日、死去した。28歳。鹿児島県出身。現役引退の原因にもなった脳腫瘍が昨年に再々発。治療を終えて今春から療養に入っていた。
 横田さんは、いつまでも変わらない“全力疾走”で太く短い生涯を駆け抜けた。17年に発症し、引退後も脊髄に転移した脳腫瘍が再々発したのは昨年3月。今春には治療を終え療養に入っていた。

 息を引き取ったのは18日午前5時42分。横田さんが愛し、尊敬し、支えられてきた父・真之さん、母・まなみさん、姉・真子さんの家族に見守られながら静かに旅立った。療養期間中は毎日、両親が寝食をともにしてサポート。真子さんも可能な限り時間をともにした。時には涙もあったが「最後は明るく送り出してあげたかったんです」(まなみさん)と笑顔を絶やすことなく、最後の時間を家族そろって過ごすことができた。

 短くて1週間、長くて2週間と余命宣告されたのは5月中旬。母・まなみさんが「慎太郎は本当によく頑張ったと思います。生きたいという思いがあったんです。何度も良くなって、回復して。本当に頑張りました」と明かしたように「生きる」ということを最後まで諦めなかった。それは背番号24のプレースタイルそのものだ。

 プロ6年間は一瞬の輝きと、長い苦闘で占められた。13年ドラフト2位で鹿児島実から入団。走攻守3拍子そろった大型外野手で次代の中軸候補として期待された。3年目の16年、当時の金本知憲監督が春季キャンプの1軍メンバーに抜てき。「2番・中堅」で開幕スタメンに名を連ね、プロ初盗塁を記録。2戦目にはプロ初安打も放ち、この年は1軍で38試合に出場した。

 だが、さらなる飛躍を期した17年2月に頭痛の症状などを訴えて脳腫瘍が判明。18時間にも及んだ計2度の手術など約半年の闘病を経験した。同年9月に選手寮の虎風荘に戻って復帰を目指すことを宣言。ただ、視力低下という厳しい後遺症に苦しみ19年9月に現役引退を決断した。引退試合となった同26日のウエスタン・リーグ、ソフトバンク戦では途中出場し“奇跡のバックホーム”でラストプレーを飾った。

 療養期間中には現役時代のチームメートの名前を口にすることが多くなったという。病魔に侵されても、タイガースのユニホームを着て高校時代から憧れの場所だった甲子園でプレーした6年間は宝物の記憶としてずっと横田さんに残った。

 引退後のセカンドキャリアは自身の経験を伝える講演活動に力を注いだ。「苦しんでいる誰かの力になりたいんです。諦めなければ何かが起こるということを伝えたいんです。何か一つでもいいので、目標を持っていればうまくいくと思う」。そんな言葉を全国の人に投げかけ、多くの脳腫瘍患者、その家族に活力、勇気を与えてきた。人生の第二章で野球とは違う生きがいを見つけたからこそ病状が悪化していた昨年も12月までリモートでの講演活動を継続。右目が失明し、両手をついて階段を上り下りしてまでも会場に駆けつける時もあった。引退後だけで2度の再発という過酷な現実を前にしても「利他の心」を失うことなく前進した。

 「一緒に乗り越えましょう!」

 昨年に入って講演の参加者にはそう呼びかけるようになったという。大好きだった野球を、そして、生きることを。全てを決して諦めなかった。 (遠藤 礼)

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