冠二郎さん死去 79歳心不全 「炎」「旅の終わりに」 紅白出場3回 演歌界に新風
2024年01月12日 05:15
芸能
高校卒業後、歌手を目指して上京。1967年「命ひとつ」でデビュー。77年「旅の終りに」がミリオンヒットしブレークした。91年の「酒場」でNHK紅白歌合戦に初出場。92年「炎」、95年「まごころ」で計3回出場した。
代表曲の中でも「炎」は、イントロで「せいや!」と何度も気合を入れ、♪アイ・アイ・アイ・ライク演歌――とサビを熱唱。歌いながらアクションを披露し「ネオ演歌」「アクション演歌」と評された。98年クリスマスのイベントではいきなり「せいや(聖夜)!」と歌い出し、通りがかった人々を驚かせたことも。このほか、93年に発表された「ムサシ」で二刀流の宮本武蔵にあやかりマイク2本を駆使するなど演歌界に新風を運んだ。
私生活では酒浸りの若手時代を反省し、徹底したサウナ生活で体調を管理。独身だった95年には一部で伍代夏子(62)に求愛を検討中と報じられ、伍代が会見を開き「人違いでは」と否定。2016年、当時歯科衛生士だった31歳下の味菜子さんと結婚した。髪がフサフサすぎると指摘されたことから持ち上がったかつら疑惑や年齢を実際より5歳下にさばを読んでいたゴシップも笑いに変えて親しまれた。
19年、虚血性心不全の手術を受け、退院後も筋力の低下によって自宅で転倒し、腰の骨2カ所を圧迫骨折。引退危機にひんした際、夫人の献身的なサポートを受け復帰していた。
冠 二郎(かんむり・じろう、本名堀口義弘=ほりぐち・よしひろ)1944年(昭19)4月23日生まれ、埼玉県出身。戦国時代を駆け抜けた真田家の本家とされる滋野一族を先祖に持つ。高校時代の異名は「秩父高の橋幸夫」。日本演歌大賞演歌スター賞、日本有線大賞有線音楽賞など数々の賞を受賞。取材を兼ねたバーベキューの開催が毎年恒例だった。