「電撃ネットワーク」過激芸で世界を魅了 92年から「TOKYO SHOCK BOYS」で引っ張りだこ

2024年01月22日 05:30

芸能

「電撃ネットワーク」過激芸で世界を魅了 92年から「TOKYO SHOCK BOYS」で引っ張りだこ
ドイツのコメディ番組「RTL Samstag Nach」に出演した南部虎弾さん(右から2人目)ら電撃ネットワーク(ゲッティ=共同) Photo By ゲッティ=共同
 【南部虎弾さん死去 】 「電撃ネットワーク」をけん引してきた南部虎弾さん。生み出してきた過激な芸は実に400近くに及び、数々の伝説を残してきた。
 客が見たら引くような危険なパフォーマンスを笑いに昇華させていった裏で、繰り返されていたのが「実験」だ。南部さんは以前、本紙に「練習よりも、まず実験。みんな好奇心のかたまりだから」と説明。しかし、その実はかなりの過酷さ。かつてあった2軍メンバーは「実験台になるのが嫌で全員逃げ出した」という。

 過激な芸は命懸け。のみ込んだ金魚を吐き出す「人間ポンプおじさん」が流行していたころ、電撃風にアレンジ。ピラニアを使い、テレビ番組で挑戦した。しかし、うまく吐き出せず、胃の内部をかみつかれたのか、激痛に見舞われる事態に。その後の出演への影響を気にして、救急車を呼ばずに我慢した。

 「TOKYO SHOCK BOYS」として進出した海外でも大ブレーク。「ダチョウ倶楽部」時代にフジテレビの正月恒例番組「新春かくし芸大会」で共演した放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏が「びっくり人間コンテスト」のような米国の人気番組に紹介。分かりやすい名前がいいだろうと「TOKYO…」と命名し、「電撃…」結成2年後の1992年に海を渡った。

 米国、英国などですぐに評判を呼び、1日で3ステージをこなすなど引っ張りだこ。95年のオーストラリアツアーで6万人を動員したほか、同国でCMに出演するなど、人気は確固たるものに。97年にはニューヨークのオフブロードウェーで日本人初の3カ月で71公演。デンマーク王室主催のレセプションに参加したこともあった。

 海外での人気は南部ワールドに言葉の壁を越えて面白さを伝える力があったことの証。デーブ氏は「当時の日本人のイメージは勤勉。ぶっ飛んだ芸とのギャップがウケた。日本人ってこんなことやるの?と大きな話題を呼んだ」と分析した。

 成功を収めた後も「コメディーの世界大会があれば、そこで優勝して世界No・1の位置付けをはっきりさせたい」と話していた南部さん。野望は尽きることはなかった。

 ≪19年に由紀夫人が腎臓提供≫南部さんは子供がおらず、18歳年下の由紀夫人と二人三脚で歩んできた。19年には腎臓を提供してもらい、移植手術が成功した際にはSNSで「妻に感謝」と投稿。夫婦ツーショットを披露した。

 由紀夫人が高校生の時、友人に連れられてダチョウ倶楽部の公演を見た時に出会い南部さんが電撃ネットワークでデビューした90年に結婚。額にビール缶を付ける芸などを由紀夫人も一緒になって練習し、公私で南部さんを支えた。

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