中村メイコさん急死 89歳 “七色の声”で女優歴86年 生涯現役のまま大みそかに
2024年01月08日 05:10
芸能
ホリプロによると、昨年12月25日に番組収録しており、これが最後の仕事になった。昨秋仕事をしたテレビ局関係者は「お年を召された印象でしたが、頭も口も達者で…お元気だったのに」と絶句。「親友の黒柳徹子さんの葬儀では私が弔辞を読む」と周囲に話していたという。
1937年、父で作家の中村正常氏に抱かれた写真が婦人雑誌のグラビアに掲載され、これがP.C.L.(現・東宝)のプロデューサーの目に留まって榎本健一主演の「江戸っ子健ちゃん」で映画デビューした。5歳だった1940年にNHKラジオの連続放送劇「ほがらか日記」に出演。その演技が人気を呼び、天才子役の名をほしいままにした。ラジオや声の仕事では、複数の人間の声を自在に操る“七色の声”が話題となった。
55年には「田舎のバス」で歌手デビュー。テレビでは、59年から10年続いた現テレビ朝日のトーク番組「メイコのごめんあそばせ」やフジテレビ「3時のあなた」の司会のほか、NHK「連想ゲーム」の紅組初代キャプテンでも活躍した。NHK紅白歌合戦でも59年から3年連続で紅組司会を務めた。
中村さんは自らの肩書を「喜劇女優」としていた。その背景には森繁久弥さん、三木のり平さんといった日本を代表する喜劇俳優と共演してきたことへの自負があった。芸能界での交友関係も広く、美空ひばりさんは「生涯ただ一人の親友」というほど心を通い合わせた仲。ひばりさんの病室に駆けつけては笑わせ「ゲラ子」と呼んでいた。葬儀では弔辞も読んだ。
「江戸っ子健ちゃん」の助監督だった黒澤明氏に「おんぶをしてもらった」、芥川賞作家の吉行淳之介氏が「初デートの相手だった」、作家の三島由紀夫に「美空ひばりを紹介した」など、テレビで驚きのエピソードを語っていたレジェンド。生涯現役で86年間を駆け抜けた中村さんは、唯一無二の存在だった。