慶応前回優勝の地「豊中球場跡地」が今も伝える「甲子園大会」の記憶

2023年08月24日 05:03

野球

慶応前回優勝の地「豊中球場跡地」が今も伝える「甲子園大会」の記憶
優勝校・準優勝校のプレートが掲げられた記念ウォール Photo By スポニチ
 107年ぶりの優勝を飾った慶応は、甲子園球場での初優勝だった。前回頂点に立った第2回大会の開催地は、大阪府豊中村(現豊中市)にあった豊中球場。アマチュア野球担当・村井樹記者(29)が、跡地を訪れ甲子園大会の歴史を再確認した。
 阪急大阪梅田駅から急行電車で約10分の豊中駅。駅前の商店街を抜けて歩くこと10分、住宅街の真ん中に突然「高校野球発祥の地記念公園」が現れる。

 甲子園から北東へ約15キロの場所にある「豊中球場跡地」だ。慶応の歴史的快進撃でスポットが当たった1915年(大4)の1、2回の甲子園大会開催球場。吉野作造が民本主義を提唱する論文を発表し「大正デモクラシー」運動が高まった頃という教科書の中の話で、長い年月を実感した。球場外壁に使用されていた赤茶けたレンガを移築した壁面に、2回大会までの出場校名プレートがあった。優勝、準優勝校プレートには、2回大会を制した「優勝 慶応普通部(東京)」の名前が確認できた。すでに200回大会まで設置可能で、107年ぶりに優勝した慶応のプレートもすぐにお披露目されるだろう。

 2回大会までの豊中球場の後、1917年の3回大会からは鳴尾球場に移った。7年後の1924年の10回大会から「甲子園」開催。今年は甲子園100年目の夏で、戦時中の1941~45年、コロナ禍で中止だった2020年を除く夏は94大会目だ。その甲子園のスコアボードの裏手の外周に約15メートルの“2代目”「野球塔」がそびえている。初代は1934年の20回大会記念に建てられ、歴代優勝校と選手名が刻まれた銅板レリーフが飾られた。だが、戦時中に銅板は軍に差し出され弾丸などに使用され、塔周辺も空襲を受けた。その時、奇跡的に4枚のプレートが残り、1枚が2回大会の慶応普通部のもの。現在、東京都文京区の野球殿堂博物館で保管されている。豊中から始まったさまざまな「甲子園大会」の歴史を掘り起こす慶応の優勝だった。

 ≪4元号勝利校では初の頂点≫慶応は今大会の初戦で大正、昭和、平成、令和の4元号勝利を達成。松商学園、高松商、広陵、広島商に次いで今大会で達成した北海に続いて6校目だったが、4元号勝利をマークした学校で初めての優勝となった。慶応の各元号での春夏通算の勝利数内訳は大正8勝、昭和6勝、平成6勝、令和5勝の通算25勝。

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