横山裕 芸能界の恩人はさんま伝説のギャグ「パーでんねん」の生みの親!!「優しさの塊みたいな人」
2024年02月25日 18:29
芸能
テレビなどでの共演をきっかけに八光と知り合い、慕ってきた横山だが、最も心を打たれたのは母を亡くした時だった。「そのときは東京に住んでたんですけど、連絡が来て“今から行っていい?”と言われて、なんですか?って聞いたら、いやおれもヒマやしって言うんで、いいですよとなってご飯食べたんです」
大阪からフラッと現れた八光と普通に食事をして、数時間を楽しく一緒に過ごした横山。その間、八光は一切、母親のことを聞かなかったという。「知らんのかな?って思ったくらいでした。でも、聞かれへんから思い出すこともしない。この人ホンマに優しいなと思って」
そういう優しさが番組でも垣間見られるのが八光のすごさ、と横山は考える。「わかってるんですよ。自分がしゃべるより周りがしゃべった方が生きるって。能ある鷹は爪隠すじゃないですが、八光さんのすごいところはすごく思わせないところ」と絶賛した。
そのエピソードを聞いても、まだ合点がいかなそうな永野。「わかりました。では、深爪でも何でもいいから爪を見せてほしい!」と訴えた。
なかなか納得しない2人に番組は最強のエピソードを用意。八光の父は落語家の月亭八方で、その楽屋に明石家さんまが遊びにきたことがあった。当時小学生だった八光はさんまとじゃれ合いながら「あほちゃうねん、パーでんねん」と言ったところ、さんまが絶賛。「それ、おもろい!5000円で売ってくれ」と告げたという。八光は当時を振り返り「それから数週間後に“ひょうきん族”を見てたらさんまさんが“アホちゃいまんねん、パーでんねん”を衣装作ってやらはったんです」と鉄板のエピソードを披露した。
それでも、納得しない2人。しんいちはそのエピソードにも「おれ、甲子園出てん、とか居酒屋で自慢するおっさんみたい」と最後まで評価することを避けていた。