オリックス・平野佳 最年長39歳6カ月で通算250S到達「まだ引退するつもりはない」

2023年10月03日 05:45

野球

オリックス・平野佳 最年長39歳6カ月で通算250S到達「まだ引退するつもりはない」
<オ・日>9回、登板した平野佳(撮影・平嶋 理子) Photo By スポニチ
 【パ・リーグ   オリックス3ー0日本ハム ( 2023年10月2日    京セラD )】 オリックスの平野佳寿投手(39)が2日、京セラドーム大阪で行われた日本ハム戦の9回に登板し、1回無失点で今季29セーブ(S)目を挙げて名球会入りの条件である日米通算250Sに到達した。通算250Sはプロ野球史上4人目の快挙で、39歳6カ月での達成は最年長。球団在籍中の選手が名球会入りの規定を満たしたのは阪急時代の1983年福本豊以来で、89年に「オリックス」となってからは初となった。
 9回2死二塁、マルティネスを直球で一邪飛に打ち取ると、平野佳は両手を挙げて喜びを爆発させた。ウオーターシャワーの祝福の後、現役時代に同じリリーフとして苦楽をともにした佐藤達也広報から花束が贈られ、笑顔がはじけた。

 「節目はビジターが多かったので250Sはホームでやりたいと思っていた。支えてくれた監督、スタッフ、選手のおかげ。家族、ファンのみなさんにも感謝したい」

 平坦な道のりではなかった。05年ドラフト希望入団枠で入団。1年目に先発で7勝も、08年は右肘手術で登板なし。09年も3勝12敗と低迷した。転機は5年目の10年。この年から就任した岡田監督(現阪神監督)の方針で救援に転向した。「中継ぎと言われた時に選べる余地はなかった。“先発いかせてください”と言えないぐらいの成績だった。それならこの世界にしがみついていかないと、と思った」。この年は63試合登板で防御率1・67、32ホールドとブレーク。分岐点になった。

 自らを「地味な選手」という。確かに剛速球も派手なパフォーマンスもないが一歩ずつ結果を重ねてきた。右腕を支えてきたのは地味な作業の繰り返し。人より早く球場入りし、ストレッチやコンディショニングなど同じメニューを繰り返す。勝っても負けてもルーティンは崩さない。出番に備え、コツコツと積み重ねてきた努力が今につながっている。

 メンタルも強い方ではない。「すごく緊張するし、やられれば次の日も引きずる。最悪の状態でもマウンドに行って何とか抑える。僕は切り替えて抑えるのではなく、抑えて切り替える。だからしんどいですよ」

 最年長でたどりついた金字塔。だがゴールではない。お立ち台では「まだ引退するつもりはないので、ここから一つでも伸ばせるように、若い子たちに負けないように頑張っていきたい」と宣言した。これからも地道に結果を積み上げていく。(中澤 智晴)

 ◇平野 佳寿(ひらの・よしひさ)1984年(昭59)3月8日生まれ、京都府出身の39歳。鳥羽では2、3年春に甲子園出場。京産大から05年大学生・社会人ドラフト希望枠でオリックス入り。11年に最優秀中継ぎ投手、14年に最多セーブ。17年オフに海外FA権を行使しダイヤモンドバックスへ移籍し、21年にオリックス復帰。1メートル86、88キロ。右投げ右打ち。

 ○…平野佳(オ)が2日の日本ハム戦(京セラドーム)でセーブを挙げ、日米通算250セーブ(日242、米8)を達成した。初セーブは10年7月28日の日本ハム戦。日本選手の日米通算を含めた250セーブ以上は4人目で、通算835試合目および39歳6カ月は、最も遅い到達となった。

 ○…入団当初は先発を務め、救援転向の5年目に初セーブ。抑えに定着した後も中継ぎ転向を経験し、18~20年のメジャー時代もセットアッパーだった。そのため、通算100セーブ以降の50セーブごとに要した試合数は、達成者4人の中で最多ながら、今季5月14日のソフトバンク戦では日米球界を通じて唯一の「200セーブ&200ホールド」。通算64勝のうち、先発で挙げた18勝はNPB通算200セーブ以上の10人では最多で、必要とされる場所で投げてきた成果が見て取れる。

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