沢田亜矢子 芸能生活50年、衰えぬ活力の源 とにかくしゃべって、ツッコんで、笑う!!
2024年03月08日 05:00
芸能
積極的にしゃべるようになったのは(85年に活動を休止して)米国に行った時。(スキャンダルで)もう日本国中に隠れるところがないぐらい名前が知れ渡ってしまって、行動が全部筒抜けになっちゃった。そんな時に米国に行ったら、逆に知らない人ばかりで孤独になってしまったんですけど、米国人は孤独そうな人とか、一人でいる人に必ず声をかけてくれるんです。英語ができず、もじもじしている私に「急がなくていいよ」と言ってくれる。「これは人を救うな」と思いましたよ。どんなに知らない人でも、何か言ってあげることが、心の栄養になって幸せな時間をつくれるなと思いました。人間、孤独になった時に何に救われるかといったら相手の言葉や笑顔、優しい目つきだったりすることを痛感したんですね。それからずっとしゃべるようにしています。最近は若い方たちと知り合いになって、お話しすることがエネルギーになっています。
これまで大病をしたのは高校受験前の急性肺炎くらい。今考えると北海道育ちで海の物、山の物、自家製の米や野菜とか体に凄くいいものを食べていました。完全に自給自足だったんですね。だから基礎体力が凄くできていたのかもしれない。北見の環境が私をつくったかなって気がします。それと毎年、区の健康診断は絶対受けています。ちょっと引っかかればそこだけ再検査をすればいいんですものね。
芸能生活50年を迎えて、こんなラッキーな人生はなかったなって思っています。ライブでは振り返って「時々地獄」と言ったけれども、人の痛みは経験しないと分からない。裁判も7回やらなかったら、裁判のつらさは分からないよ。何も無駄なことはなかった人生だと思います。やっぱり人との出会いですね。全てが人との出会いで学ばせてもらったことです。
≪自ら作詞の新曲発売≫沢田は先月、芸能生活50周年記念の新曲「夕顔/小さい花」を発売した。50年の歩みを形にすることを目的に制作し「小さい花」は自ら作詞した。「お葬式で配るくらいでいい」と、当初ヒットなどは全く考えていなかったというが、オリコンチャートの演歌・歌謡曲部門で15位をマーク。両曲を作曲した歌手の合田道人(62)も「恐ろしいことになりました」と驚きを隠せない様子だった。
◇沢田 亜矢子(さわだ・あやこ)1949年(昭24)1月1日生まれ、北海道出身の75歳。大蔵省勤務を経て、73年に「アザミの花」で歌手デビュー。79年からは「ルックルックこんにちは」の司会を担当。85年に米国で極秘出産しシングルマザーに。95年には松野行秀と結婚。離婚裁判を経て、01年に離婚。長女の澤田かおり(38)はシンガー・ソングライター。血液型A。