“愛人にしたい女”橋本マナミ「グラビアしか無かった」再起をかけた“手ぬぐい一枚”「背伸びすること…」
2024年02月04日 17:47
芸能
同期には女優の上戸彩もいて「一番劣等生で不器用すぎて…」なかなか仕事が続かず15年という苦悩の日々が長く続いたと明かした。堀越高校に転校した橋本だったが、「皆勤賞で芸能コースを卒業しました」と苦笑いしながら、自虐した。
「このままじゃダメだ」と橋本は、当時の所属事務所を辞め、今の事務所に移籍。「26歳ぐらいの時に再起をかけるとしたら、グラビアしか無かった。それまでは、どう見せようとか、どう隠そうとか考えてたんですけど、後がないから“どうでもいいや”と思って、全部水着を脱ぎ捨てて手ぬぐい一枚。背伸びすることを辞めたら、そのグラビアが反響があってグラビアの仕事が広がっていった」とグラビア挑戦の経緯を説明。
「読者の気持ちに応えたい」と活動していると、“若き熟女”“昼下がりの団地妻”など橋本のキャッチコピーが生まれたが、「お嫁さんにしたいNo.1」になりたかった橋本の心には届かない。「ちょっと愛人ぽいから“愛人”はどう」と相談され、“愛人にしたい女”が定着していき、大ブレイクする大きなきっかけとなったと語った。