このゆびと~まれ
【第101回】今はなき、深日焼
2022年01月31日 05:00
社会
4年生の劇は、子どもたちが探検隊になり、岬町の宝物、自分たちの中にある宝物を発見する、ということがテーマです。
岬町の宝物としては、劇の前半で『深日焼』、後半で『西陵古墳』を取り上げました。
【深日焼編】
国語の授業で伝統工芸のことを学習し始めた時でした。教科書を見て、ある生徒がこんな発言をしました。
「先生、九谷焼って何? 食べられるの ?」
まさかの質問に私は「えっ、どうゆうこと… もしかして、お好み焼きみたいな物と思ってる?」
岬町は最南端とはいえ、大阪府。おそるべし大阪人のDNA。○○焼といえば、たこ焼き、お好み焼きなのか…、私は妙に納得しました。
同時に、これからの時代、伝統工芸品や伝統的なものというのは、学校で学習しておかなければ引き継がれていかないのかもしれないと危機感を覚えた出来事でした。
そこで、この深日地区にも深日焼という陶芸品がある、ということを聞いたことがあったので、それを調べて子どもたちに知ってほしいと考えました。
授業で子どもたちとインターネットを使って調べていたところ、ある子どもが『かって星』という岬町内にある陶芸店のホームページにたどりつきました。そこでは深日焼について詳しく紹介されていました。
子どもたちはみんな大興奮です。「深日にも、伝統工芸があったー!」
『かって星』は休業中でしたが、ご厚意で深日焼のつぼとお皿を、「子どもたちの勉強のためになるなら」と、学校に寄付してくださいました。
そのおかげで、そのつぼとお皿を劇前半で紹介することができ、深日焼についても伝えることができました。
今では、深日焼を知る人はほとんどいないようですが、その歴史は江戸時代にまでさかのぼります。
深日では、焼き物にするための良質な土がとれ、盛んなころは深日地区に登り窯が10基もあり、器を焼く黒煙がたなびいていたそうです。
児童の中には、自宅で深日焼のことを聞いてきてくれる子もいて「ぼくのおじいちゃんは、窯の近くに落ちてるちゃわんのかけらを投げて遊んだんやってー」と教えてくれました。
なんと、学校の裏山にも登り窯があったそういです。「土瓶山」と呼ばれたぐらい焼き物が作られていたことも知りました。
劇のセリフで言うと「近くのことやのに、全然知らんかったなぁ」です。
子どもたちも、私も、新しい深日の歴史を知ることができました。今回はここまで。このゆびと~まれ。
(足立 しのぶ)(次回掲載は2月7日)
【深日(ふけ)】大阪府の最南端、泉南郡岬町にある深日は四国や淡路島への交通の要衝として繁栄した。地区人口は1971年の8059人から、2019年には3766人に減少。深日小学校の児童数も1978年は875人いたが、2019年には74人にまで減少した。大阪市内から電車で約1時間の場所にも、少子高齢化の波が押し寄せている。